原理講論p.28-29、総序より
「自家撞着を打開できないところに、現代の宗教が無能化してしまった主要な原因があると思われるのである。」
「さて、宗教が、このような運命の道をたどるようになったのには、更にもう一つの重要な原因があるのである。それは、科学の発達に伴い、人間の知性が最高度に啓発された結果、現代人はすべての事物に対して科学的な認識を必要とするようになったにもかかわらず、旧態依然たる宗教の教理には、科学的な解明が全面的に欠如しているという事実である。」
・・・科学的な解明が全面的に欠如・・・
宗教では「信じる」ことで救われる、とか
「信じる」ことで、願いがかなう、とか
「信じる」力があるのですが、
なぜ、「信じる」ことが必要なのかは、
経験的に理解しているだけであって、
その「信じる」力を、
科学的に解明した宗教は無いのではないかと思う。
なぜ「信じる」ことが必要なのか・・・
私は、この統一原理を学ぶことで、
「信じる」ということを科学的に理解することができた。
つまりは、統一教会はただやみくもに「信じなさい」
と、言っていいる宗教ではないのですね。
【私は、この統一原理を学ぶことで、「信じる」ということを科学的に理解することができた。】
返信削除科学的にそのことがそうであると証明できなければ、そのことがそうであると「信じる」しかありません。
例えば、「霊界の存在」や「文鮮明氏がメシアである」とかは、科学的に証明しようもなく、結局「信じる」しかないわけです。
賢明な人たちは、「信じない」でしょうけどね、、、。
【つまりは、統一教会はただやみくもに「信じなさい」と、言っていいる宗教ではないのですね。】
絶対服従だの絶対信仰だのと、統一協会ではよくいわれますよね。あなたの仰ってることに矛盾を感じますが、、、。