2009年9月24日木曜日

被造世界に秘蔵されている科学性

原理講論P.35、総序より

「我々が、被造世界に秘蔵されている科学性を調べていくと、それらを創造された神こそ科学の根本でなければならないと推測されるのである。」

・・・神こそ科学の根本・・・

今、最先端の科学は、神の存在を証明しつつあります。

「神様は、もう科学の常識?」(光言社:小林 浩 著)
http://www.kogensha.com/products/books/2341.html

この本はちょっと難解な部分もありますが、
宗教的な分野を、科学の面から実証しています。

科学がもっと発展すれば、もっとわかりやすく、
神の存在を証明できるようになるのでしょうね。

2009年9月15日火曜日

新しい真理は、創造本然の人間へと帰っていくことができるように

原理講論P.35、総序より

「その新しい真理は、堕落人間が、その創造本然の人間へと帰っていくことができるように、神が人間をはじめとして、この被造世界を創造されたその目的はいったい何であったかということを教え、復帰過程の途上にある堕落人間の究極的な目的が、いったい何であるかということを知らしめるものでなければならない。」

・・・被造世界を創造されたその目的は・・・

なぜ、この宇宙があるのだろう・・
なぜ、人間が存在するのだろう・・

あらゆる存在は、その存在目的に適ったときに、
はじめて、その存在の価値を表すことができるのです。

例えば、万年筆。
この存在目的は、誰もが知っているように、
「紙に文字などを書く」ことです。

もし、原因不明でインクが出なくなったとしたら・・・

捨てるのも、もったいないので、字は書けないけれど
ペン先のキャップが、丸みがあって、心地よさそうなので
「つぼ押し用の棒」として、肩に押し当てて使ってみます。

使えないことは無いけれど、万年筆の価値が・・・

私たち人間も、自分の存在目的を知らずに、
「つぼ押し用の棒」のような人生を歩んではいないだろうか。

人生、楽しく生きることができても、
本当に価値ある生き方なのだろうか。

2009年9月11日金曜日

救いの摂理の究極的な目的

原理講論p.34、総序より

「ここにおいて、我々は、神の救いの摂理の究極的な目的が、地上天国を建設するところにあるという結論を得た。」

・・・地上天国を建設する・・・

一般的に、よく言われていることですが、

死後の世界には「天国」と「地獄」があって、

 良い行いをした人は「天国」!
 悪い行いをした人は「地獄」!

「天国」って、死後の世界の事だけ、かと思っていましたが、
地上にも「天国」を建設することが究極的な目的だったとは。

「地上天国」・・・実現したら、すごいことですね!

2009年9月9日水曜日

罪を犯せば人間は否応なしに地獄に

原理講論p.34、総序より

「神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、だれがあえて罪を犯すことができようか。」
「罪のない世界がすなわち天国であるというならば、堕落した人間が長い歴史の期間をかけて探し求めてきたそのような世界こそ、この天国でなければならないのである。」
「そうして、この天国は、地上に現実世界として建設されるので、地上天国と呼ばれるのである。」

・・・誰があえて罪を犯すことが・・・

ちなみに、ここでいう「罪」とは、宗教的な意味での罪のことですね。
すなわち、天法に違反するという「罪」です。

大半の人は、
誰でも「罪」を犯したくて、犯している訳ではないですよね。
仏教的に言えば、「魔がさした」という表現になるのでしょうか。

地獄に行くことがどれほど恐ろしいことか・・・
それが、わからないから・・・もしくは、地獄の存在すら否定しているから、
一時的な喜びのために、軽い気持ちで「罪」を犯し続けてしまう。

ところで、「天法に違反する罪」ってどんな罪でしょうか。
・・・統一原理を学んだら理解できるはずですね。

2009年9月5日土曜日

一つの真理により、築かれる世界とは

原理講論p33、総序より

「それでは、全人類が、一つの真理により、一つの兄弟姉妹として、一つの目的地において、相まみえるようになるとすれば、そこにおいて築かれる世界とは、どのような世界なのであろうか。」
「この世界こそ、悠久なる歴史を通じて、人生の両面の無知から脱却しようと身もだえしてきた人類が、その暗黒から逃れでて、新しい真理の光の中で相まみえ、一つの大家族を形成していく世界なのである。」

・・・その暗黒から逃れでて・・・

私たちがいま生活している世界が、暗黒だとは
誰も意識してないかもしれない。

明るい所から、急に暗い所に行くと
一瞬、目が見えなくなって、真っ暗闇状態となりますが、
しばらく時間がたつと、慣れて普通に見えるようになりますね。

今の私たちも、この暗闇の世の中に慣れてしまって、
この、本来なら違和感のあるはずの世界が、
当たり前のようになっています。

統一原理を学ぶと、明るい光が差し込んで、
この世界がどれほど暗黒だったのかが
ようやくわかるようになりました。

・・・「慣れ」って恐ろしいですね。

2009年9月2日水曜日

神の実在と来世の実相

原理講論P.33、総序より

「人間が宗教を信じようとしないのは、神の実在と来世の実相とを知らないからである。いかに霊的な事実を否定する人であろうと、それらのことが科学的に証明されるならば、信じまいとしても信じざるを得ないのが人間の本性である。」
「また、現実世界に人生の究極の目的をおく人々は、だれしも、最後にはむなしさを味わわずにはいられない。これまた人間の天性の発露であり、何人といえども避けることのできない感情である。」

・・・むなしさを味わわずにはいられない・・・

私がまだ小学生のころ、父にプラモデルやラジコンを買ってくれと、
よくおねだりをしていました。

自分が欲しい物があると、それを手に入れたくて、
朝から晩までそのことをずーっと考え続けて、
そして、勇気を持って父におねだりです。

でも、すぐに「いいよ」とは言ってくれない父でした。
それでも、子供ながらに父を説得し、

「じゃあ買っていいよ」
と言ってくれた時の喜びは最高です。

さて、いよいよ欲しかった物が手に入るわけですが、
実際に目の前に来ると、いつも感じたのは、
・・・「なんかちがう・・・・」
嬉しいのは嬉しいのですが、喜びが半減して「なんかちがう」のです。

今思えば、「むなしさ」を感じていたのです。

そうなんです、私が最高に喜んでいたのは、
目の前に現実にある物(プラモデルとかラジコンとか)ではなくて、
私が欲しい物を、父が理解して買ってくれるという、

「父の愛情」を感じて喜んでいたのだなぁ・・・ということ。

統一原理を学んで、今になってようやく悟ることができた世界です。