原理講論p.32-p.33、総序より
「この真理は、有史以来のすべての主義や思想はもちろんのこと、あらゆる宗教までも、一つの道へと、完全に統一し得る真理でなければならないのである。」
・・・あらゆる宗教までも、一つの道へ・・・
あらゆる宗教の目指す道は、いずれも似たような方向になっていると思う。
でも、とらえ方や、価値観の違い、
目指す道を達成するための、手段・方法の違い
などから、対立が生じているのが現実でしょう。
誰もが納得できるような、普遍的な真理であれば、
そのような対立を解消することができますね。
実際に、統一原理の理念に基づいて
このような「宗教者による平和の祈り」
http://www.gpf-j.org/report/main_report_main.html
が、行われたということは、
本当に実践力を持った真理なのだなと実感です。
2009年8月31日月曜日
2009年8月29日土曜日
民主主義と共産主義との内的な理念の闘い
原理講論P.32、総序より
「我々の前には、避けることのできない最後の闘いがまだ一つ残っている。それは、とりもなおさず、民主主義と共産主義との内的な理念の闘いである。」
「彼らはお互いに恐怖すべき武器を準備して、外的な闘いを挑んではいるが、実際のところはこの内的な理念の闘いに勝利するために、心ならずもこれらの外的な武器を用いているにすぎないのである。」
「それでは、この最終的な理念の闘いにおいて、どちらに勝利がもたらされるかといえば、神の実在を信ずるすべての人は、だれしもそれは民主主義だと答えるであろう。」
「しかし、既に論じたように、今日の民主主義は、共産主義を屈伏せしめ得る何らの理論も実践力ももちあわせてはいないのである。」
・・・何らの理論も実践力ももちあわせてはいない・・・
共産主義の思想に触れたことのある人はわかると思うが、
それが真理であるか、偽真理であるかは別として、
とても整理された、緻密な理論に驚きます。
富を公平に分配する目的で出発した共産主義国家は、
結局、国家経済の破綻に至ってしまい、
思想の自由を求めて出発した民主主義国家は、
経済的には豊かになりはしたものの、
少子化・離婚・凶悪犯罪の増加で国家の危機に向かっている。
・・・・なんだか、難しい話になってしまいました。
結論は、新しい真理はそのような問題も解決できる真理ということですね。
「我々の前には、避けることのできない最後の闘いがまだ一つ残っている。それは、とりもなおさず、民主主義と共産主義との内的な理念の闘いである。」
「彼らはお互いに恐怖すべき武器を準備して、外的な闘いを挑んではいるが、実際のところはこの内的な理念の闘いに勝利するために、心ならずもこれらの外的な武器を用いているにすぎないのである。」
「それでは、この最終的な理念の闘いにおいて、どちらに勝利がもたらされるかといえば、神の実在を信ずるすべての人は、だれしもそれは民主主義だと答えるであろう。」
「しかし、既に論じたように、今日の民主主義は、共産主義を屈伏せしめ得る何らの理論も実践力ももちあわせてはいないのである。」
・・・何らの理論も実践力ももちあわせてはいない・・・
共産主義の思想に触れたことのある人はわかると思うが、
それが真理であるか、偽真理であるかは別として、
とても整理された、緻密な理論に驚きます。
富を公平に分配する目的で出発した共産主義国家は、
結局、国家経済の破綻に至ってしまい、
思想の自由を求めて出発した民主主義国家は、
経済的には豊かになりはしたものの、
少子化・離婚・凶悪犯罪の増加で国家の危機に向かっている。
・・・・なんだか、難しい話になってしまいました。
結論は、新しい真理はそのような問題も解決できる真理ということですね。
2009年8月27日木曜日
この新しい真理は、神の実在性を教える
原理講論P.31、総序より
「人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。」
「しかし、神の実在性に対しては、聖書をいかに詳しく読んでみても、明確に知る由がない。」
「ましてや神の心情についてはなおさらである。」
「それゆえ、この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。」
・・・神を離れては生きられない・・・
もし、死を覚悟するような窮地に直面した時、
どんな人でも「神様助けて!」と叫ぶのではないだろうか。
心の底では、誰でも神の存在を認めているという証拠になるのかな・・・
「人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。」
「しかし、神の実在性に対しては、聖書をいかに詳しく読んでみても、明確に知る由がない。」
「ましてや神の心情についてはなおさらである。」
「それゆえ、この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。」
・・・神を離れては生きられない・・・
もし、死を覚悟するような窮地に直面した時、
どんな人でも「神様助けて!」と叫ぶのではないだろうか。
心の底では、誰でも神の存在を認めているという証拠になるのかな・・・
2009年8月25日火曜日
「知ること」は命の光
原理講論p.31、総序より
「堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。」
「そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。」
「無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。」
「また、無知と無情緒からは、いかなる意志も生ずることはできないのである。」
・・・無知と無情緒からは、いかなる意思も生ずることはできない・・・
人間が様々な事柄について「知ること」を求めるのは、
このような理由からだったのですね。
近ごろの若者が、意欲なくダラダラ生きているのは
無知と無情緒から、生きる意思を失っている・・・
・・・から、なのかもしれないですね。
「堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。」
「そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。」
「無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。」
「また、無知と無情緒からは、いかなる意志も生ずることはできないのである。」
・・・無知と無情緒からは、いかなる意思も生ずることはできない・・・
人間が様々な事柄について「知ること」を求めるのは、
このような理由からだったのですね。
近ごろの若者が、意欲なくダラダラ生きているのは
無知と無情緒から、生きる意思を失っている・・・
・・・から、なのかもしれないですね。
2009年8月20日木曜日
人間の矛盾性、修道生活の矛盾性とを克服
原理講論p.31、総序より
「また、堕落人間をして、邪心が指向する悪への道を遮り、本心の追求する善の目的を成就せしめることによって、善悪両面への指向性をもっている人間の矛盾性と、前述のような、宗教人たちが当面している修道の生活の矛盾性とを、克服できるようなものでなければならない。」
・・・邪心が指向する悪への道・・・
今まで多くの人々は、この「悪への道」を遮ることができなくて、
結局、いけないとは思いつつも、悪の思いに負けてしまって、
それに妥協した生き方をしてしまいますよね。
良心のままに生きる方法を知ることができたら、
どれだけ、気が楽になるだろうか。
「また、堕落人間をして、邪心が指向する悪への道を遮り、本心の追求する善の目的を成就せしめることによって、善悪両面への指向性をもっている人間の矛盾性と、前述のような、宗教人たちが当面している修道の生活の矛盾性とを、克服できるようなものでなければならない。」
・・・邪心が指向する悪への道・・・
今まで多くの人々は、この「悪への道」を遮ることができなくて、
結局、いけないとは思いつつも、悪の思いに負けてしまって、
それに妥協した生き方をしてしまいますよね。
良心のままに生きる方法を知ることができたら、
どれだけ、気が楽になるだろうか。
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