原理講論P.37、総序より
「イエス以後二〇〇〇年にわたるキリスト教の歴史の期間を通じて、イエスの十字架の血によって完全に赦罪することができたと自負してきた信徒たちの数は、数え尽くせないほど多かった。しかし実際には、罪のない個人も、罪のない家庭も、罪のない社会も、一度たりとも存在したことはなかったのである。」
・・・一度たりとも存在したことはなかった・・・
罪のない平和な世界を、
誰もが望んでいるにもかかわらず、
平和を愛するキリスト教信徒ですら、
罪の問題から解放されていない。
罪のない平和な世界を作るため、
キリストは十字架についたのに、
私たちは、あと何回キリストを
十字架につけてしまうのだろうか・・・
人類は、同じ過ちを繰り返してはいけない。
もう、再臨のキリストが来ているのだから。
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