2009年10月31日土曜日

神と霊交なさることによって

原理講論p.38、総序より

「そうして、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。」

・・・天倫の秘密を明らかに・・・

真理を明らかに解明するためには、

地上で目に見える世界の事だけを、
探究するのではなく、

目に見えない存在との交流を通して、
はじめて、なすことができるのです。

見えない世界だからといって、それを無視する生き方は、
人生を滅ぼしてしまいます。

世の中には、目に見えない物の方が
大切なことがたくさんありますよね。

2009年10月29日木曜日

最大の試練の道をすべて歩まなければ

原理講論p.38、総序より

「人間として歩まなければならない最大の試練の道を、すべて歩まなければ、人類を救いうる最終的な真理を探しだすことはできないという原理を知っておられたので、先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利されたのである。」

・・・億万のサタン・・・

「億万のサタン」とは、いったいどのような悪の勢力なのだろう。
しかし、どのような説明を受けたとしても、
私たちにはわからないかもしれない・・

そのような悪の存在と直接闘った方しか、
理解できないだろうと思います。

2009年10月26日月曜日

蒼茫たる無形世界をさまよい歩きつつ

原理講論p.38 、総序より

「先生は、幾十星霜を、有史以来だれ一人として想像にも及ばなかった蒼茫たる無形世界をさまよい歩きつつ、神のみが記憶し給う血と汗と涙にまみれた苦難の道を歩まれた。」

・・・神のみが記憶し給う・・・

真理を探究するために、どれだけ孤独な闘いだったのだろう。

『神のみが記憶し給う』と表現されるぐらい
誰も知らないところで、大変な闘いをされたのだろうと思う。

今も、多くの人々は、文先生のこの『苦難の道』を知らない・・・

2009年10月23日金曜日

一人のお方を遣わし給うた

原理講論p.38、総序より

「神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。」
「そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である。」

・・・文鮮明先生・・・

このお方ゆえに、
本当の世界平和が訪れるのです。
人類に救いがもたらされるのです。

この方は本物か、偽物か・・・
いずれ、歴史が証明するでしょう。
・・・イエス・キリストの時がそうだったように。

文鮮明先生とイエス・キリスト・・・
お二人とも、激しい誹謗中傷を浴び、
無実の罪で裁かれ有罪判決を受けます。
文先生は投獄され、イエス・キリストは十字架で死刑でした。

文鮮明先生とイエス・キリストには多くの共通点があります。

文鮮明先生はどのような方なのか・・・
自叙伝、買って読んでみてください。

2009年10月21日水曜日

人間を命の道へ導く最終的な真理

原理講論P37-38、総序より

「このように、人間を命の道へと導いていくこの最終的な真理は、いかなる教典や文献による総合的研究の結果からも、またいかなる人間の頭脳からも、編みだされるものではない。」
「それゆえ、聖書に「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」(黙一〇・11)と記されているように、この真理は、あくまでも神の啓示をもって、我々の前に現れなければならないのである。」

・・・あくまでも神の啓示をもって・・・

人間は長い歴史をかけて、真理を探究してきました。
しかし、人間の頭脳からだけでは、無理だったのです。

『神の声』を聞くことができる人でなければ、
この最終的真理を現せないということ・・・。

文鮮明先生の自叙伝には、
どのようにして『神の声』を聞いたか
具体的に書かれています。

自分も『神の声』を聞きたい!
という人は、自叙伝を読んでみてください。

必ず分かりますから。

2009年10月17日土曜日

『あからさまに』解いてくれる

原理講論p.37、総序より

「象徴と比喩によって記録されている数多くの難問題を、かつてイエス御自身が直接話されたように、例えをもってではなく、だれしもが共通に理解できるように、『あからさまに』解いてくれるものでなければならない(ヨハネ一六・25)。」
「このような真理であってこそ初めて比喩と象徴によって記されている聖句を、各人各様に解釈することによって起こる教派分裂の必然性を止揚し、それらを統一することができるのである。」

・・・教派分裂の必然性を止揚し・・・

聖書のたとえ話には、難解なものが少なくない。
その解釈をめぐって、教派が分裂してきたのも事実。

ちなみに、キリスト教だけが聖書を用いているのではありません。
ユダヤ教だって、イスラム教だって聖書を使っています。
また、非公式な見解ではありますが、仏教の経典にも
聖書に基づいて書かれたものもあるといわれています。

ですから、聖書の問題を解決できたならば、
この世に存在するあらゆる宗教を統一できる可能性がありますね。

実際に、統一教会には宗教の壁が存在しないので、
さまざまな宗教を信仰している方々が、
文先生をメシヤと信じ、祝福を受けています。

神様の願いを実現する事が出来るならば、
どのような宗教でも構わないということですね。

2009年10月13日火曜日

イエスの十字架の血によって完全に赦罪・・・?

原理講論P.37、総序より

「イエス以後二〇〇〇年にわたるキリスト教の歴史の期間を通じて、イエスの十字架の血によって完全に赦罪することができたと自負してきた信徒たちの数は、数え尽くせないほど多かった。しかし実際には、罪のない個人も、罪のない家庭も、罪のない社会も、一度たりとも存在したことはなかったのである。」

・・・一度たりとも存在したことはなかった・・・

罪のない平和な世界を、
誰もが望んでいるにもかかわらず、

平和を愛するキリスト教信徒ですら、
罪の問題から解放されていない。

罪のない平和な世界を作るため、
キリストは十字架についたのに、

私たちは、あと何回キリストを
十字架につけてしまうのだろうか・・・

人類は、同じ過ちを繰り返してはいけない。
もう、再臨のキリストが来ているのだから。

2009年10月6日火曜日

キリスト教の難解な問題を明白に

原理講論P.36、総序より

「またこの新しい真理は、今日の文化圏を形成する世界的な使命を帯びているキリスト教の数多くの難解な問題を、明白に解いてくれるものでなければならない。」
「知識人たちは、ただ単純に、イエスが神の子であり、人類の救い主であられるという程度の知識だけでは、到底満足することができないので、この問題に対するより深い意味を体得するために、今日まで、神学界において、多くの論争が展開されてきたのである。」

・・・到底満足する事ができない・・・

キリスト教を知らない日本人はいないと思いますが、
キリスト教の「教え」が何なのかを知っている日本人は、
ほとんどいないと思います。

なので、キリスト教の難解な問題といっても
ピンとこないかもしれませんね。

例えば、イエスと神は同一の存在なのか?
神学の世界では非常に難しい問題のようです。

現代の知識人を納得させるだけの理論があれば、
満足する事が出来るのでしょうね。

2009年10月3日土曜日

歴史を計画し導いてこられた神

原理講論p.36、総序より

「これらの問題が明確に解明されれば、我々は歴史を計画し導いてこられた何らかの主体、すなわち、神がいまし給うということを、どうしても否定することはできなくなるのである。」
「そうして、この歴史上に現されたあらゆる史実が、とりもなおさず、堕落人間を救おうとしてこられた神の心情の反映であったということを悟るようになるに相違ない。」

・・・神の心情の反映・・・

冒頭にある「これらの問題」とは、
人類罪悪歴史がいかに出発し、いかなる過程を経て終結し、いかなる世界へ入るか、
という問題です。

歴史に綴られてきたあらゆる史実は、
「堕落人間を救おうとしてこられた神の心情の反映であった」

歴史を計画し、世界平和の方向へ導こうとしてこられた神がいます。

この事が理解できれば、人類は道を間違えることなく
平和への歴史を綴ることができただろうと思います。