2009年5月27日水曜日

王宮の栄耀栄華をかなぐり捨てて

原理講論p25、総序より
「王宮の栄耀栄華をかなぐり捨てて、心の住み家を探し求め、所定めぬ求道の行脚を楽しむのは、釈迦一人に限ったことではない。」
「心があって初めて完全な人間となり得るように、喜びにおいても、心の喜びがあって初めて、肉身の喜びも完全なものとなるのである。」

・・・求道(ぐどう)の行脚(あんぎゃ)を楽しむのは・・・

おぉぉ・・なんと深い表現だろう。

確かに、「四国八十八ヶ所巡り」のお遍路さんなんかは、
修道者ではない一般の人たち(特に実業家など)が
何日もかけて、歩いて「求道の行脚」を楽しんでいますよね。

やっぱり、物質的な豊かさだけでなく、

・・・心の喜びがあって初めて、肉身の喜びも完全なものとなる・・・

のですね。

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